1.誕生の背景とプロセス

2011年4月に『できる日本語』が誕生しましたが、それまでに長い年月がかかりました。日本語学校という教育現場で、何度も試行錯誤を繰り返しながら、「学習者も教師もわくわくする授業」をめざして大勢の著者によってつくられました。では、『できる日本語』をよりよく理解していただくために、その背景とプロセスについて簡単にお伝えしたいと思います。

■21世紀に入っても、旧態依然とした教え方が横行!

1980年代に入り、知識偏重教育の弊害からコミュニケーションを重視した教育を求める声が高まり、コミュニカティブ・アプローチなども注目を浴びてきました。しかし、教育現場では、依然として21世紀に入っても、こんな教師の悩みがアチコチで聞かれていたのです。

  • どうして「テ形」が出てきたら、それを使った文型を次々に勉強するという形になっているのでしょうか?場面・状況を重視した授業がしたいのに~~~。
  • 「できるようになった」と実感できる授業ができれば、学習者のモチベーションももっと上がるのに、それができなくて困っています。
  • 学習項目を進めることで精一杯。時間がないので、他のことはできないんです。

私が勤務していた日本語学校でも「はじめに文型ありき」の教材を使っていましたが、かなり苦労していました。先生方に「場面・状況を重視した授業展開」の大切さを知っていただくために、学内研修や新任研修に力を注ぎました。それでも、1つのクラスを3人、4人で持つチームティーチングなので、クラス担当教師の授業にムラが出てきたり、どんなにベテランになっても前の日の授業準備は大変でした。さらに、困ったことに、いくら「はじめに文型ありき」の教科書に場面設定をしたところで、それは所詮「その文型のための場面設定」でしかないのです。いかにして文脈化するか……それは本当に大変な作業でした。

■アルクから「新しい教科書を!」という呼びかけ、そこに凡人社も加わり~~~

2005年頃のことでした。アルクからお声がかかり、こんな話が飛び出しました。

    このまま「はじめに文型ありき」の教科書をただ粛々と進めるような授業を続けていては、日本語教育はダメになる。世界の言語教育において取り残される。だから、新しい教科書を作りませんか。

私がOPIのテスターであり、学校全体としてもOPIに基づく会話試験開発や授業展開をしていたことから、お話が舞い込んだのでしょう。OPIのP(プロフィシェンシー)に基づく新しい教科書を作るお話は、とても魅力的でしたが、その時の私には時間的余裕が一切ありませんでした。しかし、お話を伺っているうちに「そうか、新しい日本語教育のために~~~」と、ついに首を縦に振ることになったのです。どんなに大変な時でも「その気になれば時間は生み出せる」という考えで仕事をしていた私ですが、それでも不安はいっぱいでした。

それからしばらくして、凡人社が「新しい教科書づくりには、ぜひ弊社も一緒に……」とお申し出があり、三位一体で作ることになりました。これまで2つの出版社が「協働して日本語の総合教科書を作る」ということはなかっただけに、始めた当初はアチコチから、「なぜ?」「すごいね!」といったコメントをたくさんいただいたものです。

■試行錯誤の繰り返しに、根をあげそうになったものの~~~

さあ、プロジェクトが始まってからが大変です。まずは、コンセプトづくりですが、「タスクとは何か?」「場面・状況を前面に持ってくるとはどういうことか」「場面・トピックシラバスで言語的知識も補償するには、どうしたらいいのか?」等々、どこまでも議論は続きました。

作っては捨て……。また作っては授業で使ってみて、そしてまた作り直し……といったことの連続、まさに「PDCAサイクル」の繰り返しでした。最善のものを作ったつもりでも、現場で使ってみると、また違うものが見えてきます。私はよく「教師に大切なのは捨てる勇気」という言葉を使いますが、教科書作成でも同じことが言えます。苦労したのは、「場面・状況にぴったり合った文型・語彙」を使うことによって、日本語能力試験の言語的知識をどのように入れ込むかということでした。学習対象者は、日本語学校の学生ですから、ほぼ全員が日本語能力試験を受け、また多くが大学・大学院・専門学校への進学を目指しています。そうした目標を達成できる教科書でなければ、使うことができません。そこで、次のことを大切にしていきました。

<場面・トピックシラバスと言語的知識の融合>
では、どういう過程を経て「融合作業」を進めていったのか、少しご説明したいと思います。まず、日本語を勉強し始めた学習者が、最初に日本語で何を伝えるのか、何を知りたいのかについて教師が学生の生活を想像したり、実際に先輩の日本語学習者にアンケートを取ったりしました。また、アンケートだけではなく、たくさんの学習者とのインタビューを通して「日本語を始めてから最初の3ヶ月、半年、1年で、どこで何をしたのか、どんなことに困ったのか」など、学習者の視点から場面やトピックを探していきました。さらには、その場面・トピックではどんなやり取りがあるかを考え、そこで使われる文法と語彙を整理していきました。

しかし、一方で日本語能力試験への配慮も必要なことから、いわゆる「嫌われ文型」も入れなければなりません。例えば「~なければなりません」は、初級前半の段階では、使用文型(使えることが求められる文型)としてはもちろん、理解文型(使えなくても、分かればよい文型)としても必要ありません。これをどのように、どんな場面で入れ込むかということに苦労をしました。ここでは詳しくは触れませんが、結果として以下のような扱い方をしました。

  1. 初級14課「国の習慣」 スモールトピック2「ルール・マナー」
    例)A:あ、Bさん、シートベルトをしなければなりませんよ。
    B:あっ、そうなんですか。知りませんでした。
  2. 初中級3課「私の目標」 スモールトピック2「夢に向かって」
    例)A:あ、頑張っていますね。
    B:来月、大学の入学試験を受けるので、勉強しなければならないんです。

■東日本大震災と『できる日本語』シリーズとの関係は~~~
シリーズ第一弾『できる日本語初級』が出たのは、2011年4月上旬ですが、実は3月に出版予定でした。ところが、3月11日に東日本大震災が起き、東北地方が大変なことになりました。印刷屋さんは無事だったのですが、紙会社は東北に集中していたため、紙が手に入りません。でも、出版社の必死のご努力によって、約半月遅れで誕生することができました。

著者陣にとっても、東日本大震災は大きな転機となりました。「日本語を学ぶことの意味・教えることの意味」を改めて考えさせられることになったのです。既に試用版で何度も使っていた「初中級」「中級」ですが、もう一度内容を見直してみました。ここで1つの例を挙げてみることにします。

『できる日本語 中級』15課「情報社会に生きる」の【知って楽しむ】「手書きの壁新聞」をご覧ください。私たちは、「石巻日日新聞」を取り上げ、その時のことを伝えたいと思ったのです。そして、これこそが新聞の原点であり、いつまでも風化することのない新聞であると考えました。さっそく記者に電話をし、長い時間お話をする中で、この文章が生まれました。

2013年4月に「中級」が出版されましたが、著者たちは、その翌月には教科書を携えて石巻を訪問しました。なんと案内していただいた記念館には『できる日本語 中級』は飾ってありました。この時のことは以下の記事をご覧ください。また、15課を学習した留学生が石巻を訪れるということもあり、教科書を軸に輪がどんどん広がっていきました。対話を重ねながら、つながりを大切にしたいと考えている著者にとっては、本当に嬉しいことでした。

『できる日本語 中級』の著者、石巻にお礼に!」(2013.5)
http://www.acras.jp/?p=1394
『留学生の石巻一人旅~ぜひ「石巻日日新聞」を見たい!』(2014.9)