実践報告&現場の声

(現場の声-18)俳句を楽しむ

1.台湾・中国文化大学推広部

澤田尚美

 以前、中級の実践で台湾で日本語を勉強している社会人クラスのことについて記事を書かせていただきました。それから 1年経った現在も、このクラスの皆さんは日本語の勉強を続けています。「日本語で小説を読んでみたい」という声に応えて、1週間 1回、日本語で小説を読むクラスとなりました。今は荻原浩の『海の見える理髪店』を少しずつ読んでいます。難しい!と言いながらも、中国語で読むより小説の雰囲気が味わえると言って、皆さん、楽しんでいるようです。
授業では小説を読むだけではなく、いろいろなものを「日本語で読む」こともしています。同僚の虞安寿美先生か「イーストウエスト校内句会の俳句をクラスで読んでみた」という情報をいただき、そうだ!小説クラスでも俳句を鑑賞してみようと思い立ちました。
 実は、このクラスの皆さん、自分で俳句を作った経験があります。『できる 日本語中級』の 9課「言葉を楽しむ」の 【できる!】で俳句作りに挑戦しました。そして、私や周りの人々に選句をお願いして、句会を行ったことがあります。
 今回は「日本にいる留学生が作った俳句を鑑賞しましょう」といって、俳句を味わうことにしました。すると、俳句を見ながらいろいろなコメントが出てきました。まず、真っ先に

7 菊が咲き 誇る上海 太い蟹

の句が目についたようで、「これは絶対上海の学生が作った俳句です!」の声が笑いとともにあがりました。
 クラスでは、まずは一人で 20 の俳句をじっくり見てもらい、それから、3人グループになって、それぞれの俳句の情景やどんなことを伝えようとしているのかを一緒に鑑賞し、自分がいいと思った俳句を紹介しあってもらいました。

20 風吹いて 尽きない思い 彼岸花

「これはちょっと悲しい俳句ですね」「あ、『彼岸花』」の意味を知っているん ですか」「知ってますよー」と、クラスメイト同士でのやり取りがありました。

18 空仰ぎ 離れていても 同じ月

「先生、この俳句を作ったのは留学生ですか」「はい」「あー、この気持ち、よくわかります」「ああ、張さんも留学していたから」「はい、あのとき、友 達が誰もいなかったから、寂しかったです」と、自分のことと重ね合わせて俳句を鑑賞している姿も見られました。グループでの話し合いは10 分くらいと思っていたのですが、それぞれの俳句について、これはこんなことを伝え たいんだ、いやいやそれは~と個々人の解釈がやり取りされていて、話し合 いの時間を切り上げるのが残念に思われるほどでした。この様子を見ていて、1年前よりも皆さんの日本語力が着実に伸びていることが感じられました。そして何よりもうれしかったのは、ことばに対する感覚が豊かになっていて、俳句に書かれている情景を想像して、楽しんでいる様子でした。
 結果がどうなるのか、皆さんと一緒に楽しみに待っています。

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2.(台湾)中国文化大学社会人生涯学習センター、淡江大学

兼任講師 虞 安寿美

 嶋田先生の Facebook で、毎年恒例のイーストウエスト日本語学校の俳句大会 のことを知りました。11 月末、日本語学習者のみなさんにも投票してもらおう と思い立ち、社会人学習者のクラスと、大学三年生の作文クラスで「緊急企画! 俳句で国際交流」と題して投票会を行いました。

 まず、社会人クラス。主に主婦が多いクラスで、日本語が大好きで私と一緒に 7 年も勉強を続けています。話すことは苦手ですが、日本語の文章を読んだり日本語を聞いたりするのはかなりの腕前です。実は約 3年前、「できる日本語 中級 第9課」を勉強したときに俳句に触れたのですが、その当時は新しい単語や文法を頭に入れるのが精一杯だったようで、あまり盛り上がりませんでした(私の力不足で俳句の良さを伝えられませんでした…)。そして、もう一つの大学三年生の作文クラスのほうはというと、やはり日本語学科の学生だけあって、俳句についても多少他の授業で習っていました。でも、俳句を楽しむことまではなかったようです。

 俳句のプリントを配り、「これ、誰が書いたと思いますか」の質問からスタートすると、ある学生が「イーストウエスト日本語学校・・・日本の学生?」と 気づきました。そこですかさず、「みんなと同じように、日本語を勉強している 人たちです。今年の 10 月から勉強している人も参加したそうですよ」というと、「ええええええ!」と大歓声が上がりました。当然そうなりますよね。五・七・ 五で風景や気持ちを表すことができているんですから。
 俳句の基本ルールを復習し、植物についてはインターネットの写真を見せて 理解してもらいました。その後、小グループに分かれて、学生たちは Google 翻訳やスマホの辞書アプリと格闘しながら、自分たちで読み進めました。熱心に 読んでいる姿を見て、私から「この中の二人は、どういう関係?」とか「ここにある“落ち葉”って、何色だろう」とか質問をしたり、「破蓮」は私も知らな い季語でしたので(俳句は(も)不勉強で…)、学生たちと一緒に「たぶん、こういうことじゃない?」と、俳句の世界をあーでもないこーでもないと想像し合いました。文字通りにしか捉えることができない学生たちにとって、俳句を 読む活動を通して、表現の豊かさや文字の間に隠れる風景や気持ちを読み取るいい機会となりました。このような体験は教科書を読んだりニュースの記事を 読んだりするだけではなかなかできませんし、書き手の心を汲み取ろうとする 姿は、「勉強」という枠を超えた学習だったのではないかと思います。また、私は、「教えない授業」、「問い」から広がる授業に一歩進めたのではないかと思っています。

 私はこの俳句を読んでいる時間も感動しきりだったのですが、さらなる感動が押し寄せたのは、学生たちが書いたコメントを読んだ時でした。ある学生は、花言葉を調べ、そこから俳句の世界を深く知ろうとしていました。ある学生は イーストウエスト日本語学校の学生さんと同じように故郷の家族を思い、また ある学生は唐詩と同じ風景だと気づいたり、五・七・五の究極のミニマルな世 界がこんなにも大きな世界を作り出すのかと感動しました。
 今回、俳句の世界を通じて、「ことば」の学習とは何かということを改めて考えさせられました。そして、日本語が共通語となって繋がる機会を得たことに非常に感謝しています。今度は「俳句作り」に学生たちとチャレンジしたいと思います。そのときはぜひ、世界中からコメントをお寄せいただければ幸いです。

(淡江大学日本語文学科 作文クラスのみなさんです。おとなしいのですが、 作文の内容が個性的で、いつも読むのが楽しみです!)

学生のコメントを紹介します

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