実践報告&現場の声

(相談室)こんな「悩み」を抱えていませんか?

先日、A日本語学校の教務責任者であるBさんから、以下のような「悩み」相談を受けました。

うちの学校では『できる日本語』を使い始めて3年です。以前よりずっと学内で
の話し合いも活発になってきています。『できる日本語』の良さも魅力もよくわかっていると思います。
でも、なぜか学内にはうまく使えない人が多いのが現状です。新人教育などでも、「文法が隠れていて見えない」「マニュアルがあれば、うまく授業ができるのに・・・」という声が聞かれます。どうしたらいいでしょうか。

そこで、私は自分自身でBさんに答えて終わりにするのではなく、イーストウエスト日本語学校の先生方に、次のような宿題を出しました。

A校の「悩み」はなぜ起きるのだろうか考えてみてください。そして、それを自分自身の実践を振り返るきっかけとし、さらにBさんにアドバイスをしてください。(嶋田まで回答メールを送る)

学内のすべての先生から回答メールが届き、それを冊子にして講師会で配布しました。お互いの考えを知ることは、とても重要なことだと考えたからです。もちろんイーストウエスト日本語学校で出た「悩み」ではありません。しかし、同じ教科書を使う仲間としてA校の課題に共感し、自分の問題として考えることは大切なことではないでしょうか。

とても貴重な意見がたくさん出てきました。ここでは、その中から田坂敦子さんの返信メールをご紹介します(ご本人から許可を頂いています)。Bさんと同じような「悩み」を抱いていらっしゃる先生方のお役に立つことを願っています。

             「できる日本語」教材開発プロジェクト
リーダー 嶋田和子

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「ある学校の苦悩」について考えたこと

田坂敦子(イーストウエスト日本語学校)

1.実習指導をして感じていること

私は、かつて「みんなの日本語」を使用して日本語教師養成の実習指導をしたことがあります。また、現在は「できる日本語」を使用して実習指導を行っています。機関も受講生も異なるので単純に比較はできませんが、受講生の模擬授業があまりうまくいかない場合の、問題点に大きな違いがあると感じています。

「みんなの日本語」使用の場合は、導入→文法は丁寧すぎるほど説明し教えるのに「その文法をいつ使うのか?」「実際の言語行動として、何ができるのか?」がほとんど考えられていない授業がありました。導入はていねいにやるが文法の意味を教えるための導入にとどまり、具体的な使用場面の提示がなく、練習はオーディオリンガル的な文型練習だけで、学習者自身のことを話す機会がないような授業でした。「それをいつ使うんですか」「その例文を実際の生活で言うでしょうか」「実際に使用する場面は何でしょうか」ということを受講生によくコメントしていました。
一方、「できる日本語」使用の場合は、具体的な使用場面の提示は(教科書通りなので)できるものの、チャレンジを一度聞かせるだけで文法の導入も終了、それだけで学習者がもう言えるようになると思ってしまい、文法のポイントの提示や練習が不十分なまま、言ってみようをサラッと流し、先に進んでしまう、という授業が見受けられるようになりました。「その文法練習の大事なところは何ですか」「ここで出した文型は前のとどう違うのでしょうか?」「意味が分かっただけでは言えるようになりませんよ」というようなコメントを受講生にすることが多くなりました。

理由を考えてみました。
「みんなの日本語」は、教科書の順番通りにやっても授業が作れない、ということが明らかな教科書だと思います。各課に例文として文法項目のリストはありますが、意味の導入の仕方は書かれていないので、マニュアルを見たりして、ここはどうやったら意味が分かるだろうか、どんな絵を見せたらいいだろうか、どんな練習が必要だろうかと考え準備することが必要です。そうしないと授業を組み立てられません。そのため文法について教師自身がかなり勉強することになります。(その結果、文法だけの授業になってしまうわけですが…。)

一方「できる日本語」では状況イラストとチャレンジがあるので、「これを見せて、聞かせて、言ってみようにすすめばいいんだな」と、教科書に甘えすぎて、そこで教える文法項目のポイントはなんなのか、なぜこの順番なのか、と自分で考えることが甘くなることがあるように感じます。授業の流れの段取りは間違っていないが、教師自身ポイントが押さえられていない、ということです。
文型練習も、なぜこの例文なのかということを考えないで「ここに載っているのをやればいいんでしょ」と、極端に言えば、教師自身がわかっていなくてもなんとなく授業らしきものができてしまうのではないでしょうか。

おかしな言い方になるかもしれませんが、
「みんなの日本語」は、使い勝手が良くないので準備の際よく考える→勉強する
「できる日本語」は使い勝手がいいため教科書に甘えてしまう→勉強しない
ということが起こっているのではないでしょうか。

「隠れている文法が見えない」ということですが、文法は隠れていないと思います。
「ポイント・言ってみよう・シラバス一覧・文法ノート等を見ればわかると言われるが、分からない先生が多い」ということについては、それらを見てわかることは、教えるべき文法項目であって、その項目のポイントというものは教師自身が勉強して分かっておかなければならないものだと思います。教師が勉強しなければならないのはどんな教科書を使っても同じです。

2「新しい先生」の2パターン

「熱心に学内研修を実施している」とのことですが、「新しい先生」に対して研修すべきポイントが、少し違うのかもしれないと思うことがあります。

「新しい教師」には以下の2種類があると思います。
①「できる日本語」を使用するようになる前に、「みんなの日本語」など構造シラバス中心に文法を教えてきた(実習含む)経験がある教師。
②「できる日本語」が初めての教科書である、教え始めたばかりの教師

「できる日本語」を使用するようになる前に、「みんなの日本語」など構造シラバス中心に文法を教えてきた経験がある教師は、文法についてかなり勉強してきたと思います。そして、その文法をどのように教えたらよいのか、どのように練習したらいいのか、どのような活動に結びつけたらいいのかと苦労した経験の上で、「できる日本語」を見ると、この教科書がいかに工夫されており、使いやすい教科書であるかがわかるでしょう。この場合問題はありません。「かなり力のある先生でないと使いこなせない」という意見の「力のある先生」というのはこのような教師を言っているのではないでしょうか。
あるいは、文法中心の教え方が染みついている教師が「できる日本語」が使いにくいというのであれば、Can-doという考え方をわかってもらうための研修が必要だと思います。しかしこの場合は、「文法が隠れている」とは思わないでしょうから、ここで問題になっている「うまく使えない」ということとはまた別の問題でしょう。

しかし、初めて使う教科書が「できる日本語」である新しい教師は、ひょっとすると初級文法の重要なポイントがまだ十分わかっていないかもしれません。そこがわからずに、場面、話題、活動が強調された教科書を使うため、文法が「隠れている」ということになってしまうのではないでしょうか。

文法中心に教えてしまう教師に対して話すトーンで「大事なのは言語知識だけではなくて言語使用だ」「場や話題が大切だ」という言い方ばかりをすると、前提として「文法は大切だ」という意識がそれほどない場合、文法についての考え方が甘くなってしまうのではないでしょうか。このような教師には、教科書で場面や会話例は用意されているので、むしろ「ここで教える文法のポイントは何か」ということを確認する必要を感じます。それは前者のような教師とは逆のことだと言えます。
文法知識と、その大切さはよくわかっているがプロフィシエンシーの考え方に欠ける教師に必要な研修と、文法がよくわかっていない教師に必要な研修は違うということです。
私は、「できる日本語」を使った実習指導をしてこの点の考えが不十分だったという反省があります。

3 自分自身を振り返って

私自身は、言語知識中心の教え方から、Can-doという考え方へとシフトしていく経験をしました。しかし、そのようなシフトではなく、むしろ文法についての知識が不十分な方に対して「できる日本語」の使い方を教えるとき、自分とは違うのだなということを感じます。
そのようなところでも、いかに自分が自分を基準としているか気づかされます。
「できる日本語」は、せっかく言語知識と言語運用の両面が押さえられている教科書なので、その両方が生かせるような使い方を、伝えたいと思っています。