実践報告&現場の声

(中級)東日本大震災5年の朝を迎え「手書きの『石巻日日新聞』」を想う

東日本大震災が発生したのが、2011年3月11日(金)の14時46分。私は、浜松出張から戻り、14時40分に東京駅に着いたばかりでした。それから「どうしよう?とにかく東京駅で待ってみよう」などと無駄に時間を過ごすうちに、タクシーを待つこと2時間、バスもなく・・・。

石巻の皆さん頑張ってください(留学生からのメッセージ)2011.12

歩いたり、タクシーに乗ったり(歩いたほうが早いので降りました)、また歩いたり・・・。さらには動き出した地下鉄に乗ったり・・・中野坂上の勤務校(イーストウエスト日本語学校)に着いたには、23時30分でした!

あれから5年、さまざまなことが変わりました。この大震災は、人々の考え方、生き方にも影響を与えました。そんな中生まれた『できる日本語 初級』ですが、3月に誕生予定が、1か月延びました。それは、東北地方の印刷屋さんが被災して、紙の手配ができないということでした。それでも皆さんの必死のご努力で無事4月6日に出来、著者陣と手にした時には、万感の思いでみんな目に涙が滲んでいました。「そうだ、これを大切に育てていこ
う!」と誓い合いました。

その年の12月には、イーストウエストの学生さん達が石巻の皆さんにメッセージを書きました。そして、春に教育実習で知り合った東京女子大学の難波さんが石巻に届けてくださいました。
http://www.nihongohiroba.com/?p=2274
(2012年12月2日)

ちょうど『できる日本語中級』を作っているところだった私達は、15課「情報社会に生きる」で、震災翌日
に出された「石巻日日新聞」を取り上げることにしました。手書きの新聞です。著者が電話で長い時間インタビューをさせていただき、出来上がりました。この「手書きの壁新聞」の存在は、一般の人々に、日本語学習者に、教師に、さまざまなことを教えてくれます。

そして出版1か月後、3人の著者が、石巻にお住まいの「石巻日日新聞」記者の武内宏之さんに本を携えてお会いしに行きました。すると、博物館には『できる日本語中級』が飾ってあったのです。武内さんは著者たちを案内して町を見せてくださいました。こうして1つの記事がまた人をつないでいってくれました。

「『できる日本語中級』の著者、石巻にお礼に!」(2013.5.14)
http://www.acras.jp/?p=1394

15課の一部をご紹介します。
では、「石巻日日新聞」をご覧ください。

手書きの壁新聞「石巻日日新聞」2016.3.12

『できる日本語中級』15課「情報社会に生きる」【知って楽しむ】

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